(※本記事は2024年月11月2日にメルマガで発行された内容のものです。最新の情報を受け取りたい方はこちらから)
本日は需要があっても売れない本当の理由を話します。
よく、
「メタボで困っている人にサプリを売ればニーズがあるので売れますよ」
なんて言葉を聞きますが、…これは売れません。
”絶対に”です。
「え、、なぜですか?ニーズがあるなら商品が売れるんじゃないんですか?」
そう思いますよね?
はい、ニーズがあれば売れる”条件”をクリアすることはできます。
しかし、それだけでは足りないのです。満足ではない。その話をします。
ではなぜニーズがあっても売れないのか。それは、”問題意識がない”からです。
問題意識がない、つまり、悩んでいない人へどんなに解決策となる商品を提示しても、まるで興味を示さないのです。
まして、興味がないものに対してお金を払うなんて絶対に嫌。なので、売れないのです。
ではお金を払うのは誰なのか。
それは問題意識がある人がある人です。
このサプリに興味を持つのは、すでにサプリを買ったことがある痩せている人なんですよ。
「えええーーー痩せている人ですか?痩せている人なら悩まないんじゃないの?」
そう思いますよね?
いいえ、痩せている人の方が悩むんですよ。
どんな悩みかというと
「もっと成分が多い商品はないのかな?」
「もっと効果がある商品はないのかな?」
「もっと安くていい商品はないのかな?」
みたいなことに悩んでいます。
そして、この悩みを解決するためになら、お金を払うのです。すでにサプリにお金を払った経験がありますからね。次にお財布を開くことになんら抵抗がないということです。
一方で先ほどの話はどうでしょう?
メタボだけどサプリをとったことがない人は問題意識がないので、サプリにお金を払ったことがありません。
なので、価格の基準もわからないので、仮にあなたがこの人に対してサプリを売ろうとすると
「え、こんなに値段がするの?たっか」
とか言われます。価格の相場も、価値も、問題意識もないからです。
なので、需要がある、と考えているのはあくまでも販売者側の視点であって相手が悩んでいないのなら、それは”需要がない”ということなんです。
よく知らない土地の街で人々をみたらみんな裸足だったら靴が売れるチャンスなんて話がありますが、あれは半分ウソ。チャンスだと思っているのは、”販売者側”であってその街の人々は靴をはく文化はないので靴を提示されても
「???なにそれ?」
なのです。問題意識がない、悩んでいないのなら売れないということですね。
「じゃあ靴が売れるチャンスではないってことはウソじゃないですか!」
怒らないでください。僕は”半分”ウソだといいました。この半分の理由を話します。
結論からいうと、”啓蒙”すれば売れます。”教育”と言い換えてもいいですね。
要は、問題意識を与え、必要性を感じさせば買うということです。
ややこしいですね。了解。では、先ほどの靴の話でたとえましょう。
誰もが靴を履いていなかったとしたら、まずその街にしばらく住み込むのです。そして、まず街の住人と仲良くなります。当然、仲良くなったら街の住人は聞いてきますよね?
「お前のその足に履いている変なものはなんだ?窮屈じゃないのか?」
こんな感じで。そうしたらいいます。
「なにを言ってるんだ。俺の国では誰もがコイツを履いているし、むしろ、履かないやつの方がいない。なぜなら、こいつがあれば、どんなに寒い時も凍傷はしないし、なにより石などで怪我をすることもない。特に皮膚の柔らかい子供とかは怪我しやすいだろ?しかも、一度傷ができたらバイ菌だって入ってくる。それらから守ることができるスグレモンなんだぜ。」
すると、一同は今まで笑っていたのをピタッとやめ、ジーッとみています。
「…おい、それはなんていうんだ?そして、いくらなんだ?」
「ああ、コイツは”靴”っていうのさ。そうだな、この国の価格に合わせると…●だな。欲しいなら今度売ってやるよ」
…
…
みたいな感じです。
この会話の流れでイメージできると思いますが、街の住人が問題意識を持った途端に興味を持ち出しましたよね?コレが重要なんです。
つまり、問題意識を持っていない人に売るのなら問題意識を持たせる”啓蒙(教育)”が必要だということです。理解できましたか?
ちなみに、、、この方法を使って、外国人宣教師達は日本へキリスト教を布教させました。あの有名なフランシスコザビエルとかね。
当時のキリスト教を知らない日本人はキリスト教の必要性を感じていませんでした。ザビエルなど宣教師たちからしたらめっちゃニーズあるやん!って思われていたわけですが、日本人は問題意識がないのでキリスト教なんて興味がなかったんです。
さぁ困った宣教師達。彼らのミッションは、世界各地でキリスト教を布教せよ、ですからね。目の前に顧客がいるのにただで帰るわけにはいかないわけです。なので、宣教師達は何をしたか。
彼らは、海外の特産物を売りました。金平糖とかも確かそうだった気がします。(うろ覚えですが…)
その中で特に気に入って買ってくれたのが鉄砲などの武器です。これが飛ぶように売れた。
当時はどの国(日本国内の)も常に隣とドンパチが起きてもおかしくない状態。なので、武器の需要はめっちゃあったわけです。それらを買うことで、戦に勝つこともできたため、もう完全なくてはならない状態になっていたんですね。
そのため、この取引があることで、
「よし、お前らは日本に住み着いていいぞ。そしてキリスト教というのを広めてもいいぞ」
と大名からお達しが出るようになった、というわけですね。
ここまできたら、宣教師のターンです。
住み着いて取引をしていたら、街の住人たちと仲良くなりますよね?特に日本人からしたら珍しい海外の話や不思議な食べ物、飲み物もくれます。とても親しくなって信じていたに違いありません。そんな時に街の住人がいうのです。
「いっつも、宣教師さんたちは手を合わせて目を瞑ってますけどあれっていってぇなんなんですかい?」(江戸っ子風w)
「オオ、ソレハカミヘノイノリデス。ワタシタチノクニデハカミヲシンジテイマス。アナタタチノホトケサマトニタヨウナモノトイエバイイカモシレマセン。カミハワタシタチヲツネニミテイテイノリヲササゲルモノ二スクイヲアタエテクレルノデス」
「へぇーー、そうなんですかい。でも、その”かみ”っちゅうやつは、さすがに誰もを救ってはくれないだろ?そんな都合の良いことはしてくれねぇよな」
「カミハスクッテクレマス。コノセカイノニンゲンハダレモガビョウドウニカミノコデス。ワタシタチガマイニチイノリヲササゲルノハ、ソノカミノジアイニカンシャヲシテイルカラナノデス」
「…へぇ、ってことは俺みたいな下人だとしても救ってくれるんだな?一度その”かみ”っちゅうやつを俺にも教えてくんねえか?」
…
…
みたいな感じ。こうして普及していったわけですね。
当時は封建制度ですから、その身分に苦しんできた人たちはたくさんいます。でも、それが当たり前すぎて問題意識なんて思ってなかったわけです。そこに問題意識を与えるようなことを言えばどうなるか。。。
そりゃ”解決策”が欲しくなりますよね?
そのため、そこからは一気にキリスト教が広まっていったわけです。
こんな風に、問題意識を与える啓蒙(教育)活動に時間を割けば売れます。ただ、それだけの時間が必要ってことですね。
ここまで話をしてきて自分の商品を売ろうしている人は問題意識を持っている方でしょうか?そこを一度確かめてみてください。
もし、問題意識を持っていない人であれば、時間をかけて教育していくか、問題意識を持っている人にターゲットを変えてください。
ベストは後者です。前者だと時間がかかりますからね。
ぜひ、一度チェックしてみてください。
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